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大阪の真田幸村ゆかりの地めぐり|大阪城の近くから天王寺まで1日の回り方と御朱印

三光神社の真田幸村公之像。下に「大阪の真田幸村ゆかりの地めぐり」「三光神社の抜け穴から茶臼山の本陣跡まで 2026年8月」の文字が入っている

真田幸村(信繁)が最後に戦った大阪には、ゆかりの地がいくつも残っています。
ただ、大阪のどこにあって、大阪城の観光のあとに回れるのか、迷う人は多いと思います。

私は2026年8月14日(金)、朝に大阪城を見たあと、午後に玉造から天王寺まで、真田幸村ゆかりの地を巡りました。

この記事では、回った順番と時刻、移動のしかた、いただいた御朱印、かかったお金をまとめます。

読み終えるころには、大阪城のあとにどこまで足を延ばすか、決められるはずです。

先に結論|大阪で真田幸村ゆかりの地を巡るときに押さえる3つ

  1. 玉造の3か所は、歩いて回れる。
    この日は玉造稲荷神社・三光神社・心眼寺と真田丸顕彰碑を、近くへの寄り道も入れて、12時ごろから1時間50分ほどで回りました
  2. 玉造から天王寺へは、地下鉄で移動する。
    玉造駅から四天王寺前夕陽ケ丘駅まで、乗り換えを入れて10分ほどでした(この日は190円)
  3. 三光神社は、社務所の時間と抜け穴の開放日を先に確かめる。
    社務所の受付は平日9時〜15時・土日祝9時〜16時です。
    真田の抜け穴が開くのは、10月最終日曜日の真田祭りの午前10時〜12時だけです(公式サイト)

玉造稲荷神社に着いてから茶臼山を出るまで、4時間25分ほどでした。
かかったお金は、玉造からの地下鉄・天王寺駅から大阪駅までの帰りの電車・御朱印で3,730円(1人分)です。
朝の電車と昼ごはん、四天王寺の御朱印は入れていません。

大阪城からゆかりの地を巡ってきた最後に安居神社を訪れると、幸村がたどった歴史の終着点まで来たようで、特に印象に残る場所でした。

目次

玉造稲荷神社|豊臣秀頼公の像と、秀頼公が奉納した鳥居

玉造稲荷神社の豊臣秀頼公の銅像。台座に「豊臣秀頼公」と刻まれ、後ろに青空とマンションが見える

大阪城を回ったあと、森之宮で昼ごはんを食べてから、歩いて玉造稲荷神社へ向かいました。
店を11時50分ごろに出て、着いたのは12時ごろです。

境内には、豊臣秀頼公の銅像があります。
玉造稲荷神社の公式サイトによると、像は高さ3m(台座も3m)で、平成23年(2011)10月13日に除幕されました。
神社の本殿と大阪城天守閣を望むように建てられているそうです。

秀頼公が慶長8年(1603)に奉納した鳥居も、境内に残っています。
元は本殿の正面にあり、阪神大震災で一部が傷んだため、上の部分と脚の部分に分けて保存していると、公式サイトで案内されています。

玉造稲荷神社の朱色の拝殿。左右に狛犬が並び、軒に提灯が下がっている

朱色の社殿が鮮やかで、まずその姿が印象に残ります。
秀頼公の像や、秀頼公が奉納した鳥居もあり、大阪城から少し足を延ばすだけで、豊臣家と大阪城の歴史をさらに身近に感じられる場所でした。

境内の胞衣塚大明神には、秀頼公と母の淀殿を結ぶ胞衣(卵膜や胎盤など)が祀られています(公式サイト)。
公式サイトでは、真田幸村ゆかりの真田紐で作った「縁のひも」に願いを書き、胞衣塚大明神の前に結んで祈願すると案内されています。
御朱印は300円でした(この日)。

12時半ごろには、近くの大阪カテドラル聖マリア大聖堂と越中井にも寄りました。
越中井の石柱には、「細川忠興夫人 秀林院 殉節之遺址」と刻まれています。
玉造稲荷神社の公式サイトでも、豊臣時代の玉造に屋敷を構えた武家の一人に、細川忠興が挙げられています。

三光神社|真田幸村像と「真田の抜け穴」

三光神社の真田幸村公之像。甲冑姿で右手を高く上げた銅像の台座に「真田幸村公之像」とあり、左の石組みの奥に穴の入口が見える

三光神社に着いたのは13時ごろです。
公式サイトでは、JR玉造駅から歩いて5分、地下鉄の玉造駅2番出口から2分と案内されています。

境内の真田幸村公之像のすぐそばに、「真田の抜け穴」があります。
この日は鉄格子が閉まっていたので、鉄格子ごしに見ました。

三光神社の真田の抜け穴。石組みの入口に鉄格子の扉が閉まっていて、左に史跡の石柱が立っている

公式サイトによると、真田幸村は大坂城から砦(真田丸)まで通じる地下の抜け穴を作ったと言い伝えられていて、その跡が三光神社の下に残っています。
抜け穴はふだん鍵がかかっていて、開くのは1年に1度、10月最終日曜日の真田祭りの日だけです(開放は午前10時〜12時)。

真田幸村像のすぐそばに「真田の抜け穴」があり、ここまで巡ってくると、一気に真田幸村ゆかりの地らしさを感じられました。
幸村像と抜け穴を間近に見られるのも、歴史めぐりならではの面白さです。

境内は人が少なく、落ち着いてお参りできました。
御朱印は500円で、切り絵の御朱印(書き置き)は1,200円です(この日)。

三光神社の切り絵の御朱印。大阪城と騎馬武者の切り絵に六文銭が入り、「真田山 三光神社」と書かれている

社務所の受付は、平日は9時〜15時、土日祝は9時〜16時です(公式サイト)。
平日に御朱印をいただくなら、三光神社を早めの時間に入れておくと安心です。

心眼寺と真田丸顕彰碑|信繁(幸村)の墓碑と、真田丸があった場所

心眼寺の山門と石段。門の右に「真田幸村出城跡」と刻まれた石柱が立っている

三光神社から歩いて、心眼寺に13時25分ごろに着きました。
山門の右には「真田幸村出城跡」の石柱があります。

近くの大阪市教育委員会の掲示によると、真田丸は慶長19年(1614)の大坂冬の陣で、真田信繁(幸村)が惣構の空堀の南側に築いた曲輪です。
三日月の形から偃月城とも呼ばれ、冬の陣のあとの講和の条件で取り壊されました。

同じ掲示板の解説では、真田丸は東西200mほどの規模で、信繁はわずか3千人余りの将兵で守り、徳川方の攻撃を退けたとされています。

心眼寺の墓碑。大きな自然石に「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と刻まれ、左に六文銭の飾りと説明板がある

境内には、「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と刻まれた墓碑があります。
説明板によると、信繁の四百回忌にあたる平成26年(2014)10月に建てられたものです。

同じ説明板には、信繁は一般に「幸村」として知られているものの、生前に「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられる、とも書かれています。

真田丸顕彰碑。「真田丸顕彰碑」の題字の下に古地図と解説の陶板があり、足元に六文銭と桐の紋の石がある

心眼寺のそばには、真田丸顕彰碑があります。
天王寺区の公式サイトによると、碑には大阪城の石垣にも使われている岡山県犬島産の自然石の花崗岩が使われています。
設置された場所からは、真田丸があったとされる大阪明星学園のグラウンドが見下ろせます。

碑の解説には、幸村が慶長19年12月4日、真田丸を舞台に前田利常・松平忠直・井伊直孝・藤堂高虎ら徳川方の大軍を手玉にとった、とあります。

興徳寺の大きな観音像。腕がたくさんある観音像が、庭の木々の奥に立っている

心眼寺のとなりには、興徳寺があります。
御朱印は500円でした(この日)。

心眼寺の隣にある、10mほどの観音さまが特徴的で、思わず寄りました。

四天王寺|玉造から地下鉄で、五重塔の境内へ

四天王寺の五重塔を見上げた写真。朱色の柱と緑の格子の五重塔が、青空の下に立っている

玉造の3か所を回ったあとは、玉造駅から地下鉄に乗りました。
14時5分ごろに乗り、乗り換えを1回して、四天王寺前夕陽ケ丘駅に14時20分ごろに着いています(この日は190円)。

天王寺区の公式サイトでは、「大坂夏の陣」の舞台は四天王寺・茶臼山界隈と紹介されています。

四天王寺に着いたのは14時25分ごろです。
境内には人がそれなりにいましたが、混雑というほどではありませんでした。

四天王寺の公式サイトによると、門は24時間開いていて、お堂の外からのお参りはいつでもできます。
私は中心伽藍(大人500円)の中には入らず、外から五重塔を見ました。

取材の日は、お盆の行事(盂蘭盆会)の期間で、石鳥居に横断幕がかかっていました。
境内の掲示によると、四天王寺の御朱印は、すべて納経所で授与しています。

朱色の建物が青空によく映え、境内に入ると五重塔をはじめとした堂々とした建物が印象に残りました。
今回は途中で少し立ち寄っただけでしたが、見どころも多そうなので、今度は時間を取ってゆっくり参拝しに来たいと思える場所でした。

安居神社|真田幸村が最期を迎えたと伝わる地

安居神社の真田幸村公の座像と「真田幸村戦死跡之碑」。右の石碑に碑文が刻まれ、まわりに木々が茂っている

安居神社に着いたのは、15時5分ごろです。
四天王寺から歩いて向かいました。
境内には、真田幸村公の座った姿の銅像と、「真田幸村戦死跡之碑」が並んでいます。

境内の説明板「眞田幸村陣歿の旧跡」によると、幸村は元和元年の大阪夏の陣で、5月7日に天王寺の近くで松平忠直の軍を迎えて戦い、この神社の境内の一本松の下で戦死しました。
49歳でした。
心眼寺の説明板にも、信繁は安居神社の付近で討ち取られたと伝えられる、と書かれています。

境内には真田幸村公之像と戦死跡之碑があり、ここが幸村最期の地と伝わる場所なのだと実感しました。

銅像の由来の掲示では、像に手を触れて、幸村公の徳を授かってほしいと宮司が書いています。
由緒略記によると、御祭神は少彦名神と菅原道眞公で、5月には幸村祭があります。

境内は人がほとんどおらず、静かにお参りできました。
御朱印は300円です(社務所の貼り紙)。

安居神社の御朱印。「安居神社」の墨書きに、六文銭の印と「真田幸村公戦死の地」の文字が入っている

一心寺|本多忠朝の墓と「酒封じ」

安居神社から歩いて、一心寺に15時半ごろに着きました。
一心寺は、公式サイトで施設の写真を許可なく使うことを禁じているので、この記事では写真を載せていません。

一心寺の公式サイトによると、境内の東側に本多出雲守忠朝の墓があり、酒封じの言い伝えがあります。
お墓には、断酒を祈るしゃもじがたくさん奉納されています。
境内の説明板によると、本多忠朝は徳川家康の四天王の一人といわれた本多忠勝の第二子で、大坂夏の陣で亡くなりました。

門をくぐる前から、迫力のある仁王像が目を引きました。
境内には大阪夏の陣で戦死した本多忠朝の墓があり、その最期にまつわる逸話から「酒封じの神」として信仰されているのも興味深いところです。
大阪の陣を巡る途中で、こんな場所に出会えるとは思いませんでした。

一心寺では、御朱印を「集印」と呼んでいて、寺務所で受け付けています(公式サイト)。
この日の集印は500円でした。
公式サイトによると、山門は午前5時から午後6時まで開いていて、受付は午前9時から午後4時までです。
いまは混雑を和らげるため、法要を申し込んだ人のほかは、本堂の中には入れないと案内されています。

茶臼山|冬の陣は家康、夏の陣は幸村の本陣跡

茶臼山の山頂の標石。徳川家の三つ葉葵の紋と「茶臼山」の文字が刻まれ、台に「大坂の陣跡」とある

一心寺から歩いて、天王寺公園の中にある茶臼山に16時10分ごろに着きました。
山頂までは、5分ほどの登りです。

天王寺区の公式サイトによると、茶臼山の史跡碑には「大坂の陣史跡茶臼山 冬の陣徳川家康本陣跡 夏の陣真田幸村本陣跡」と刻まれています。
この史跡碑は、大坂の陣から400年の記念に、一心寺が2014年9月に企画・制作して大阪市に寄贈したものです。

山頂の標石には、徳川家の葵と、真田家の六文銭の紋が刻まれています。
茶臼山からは、あべのハルカスが見えました。

茶臼山の山頂の標石の別の面。赤い六文銭の紋と「山頂 標高26M」の文字が刻まれている

大阪冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村が、同じ茶臼山に陣を構えたというのが面白いところです。
山頂には徳川家と真田家、両方の家紋が刻まれていて、二つの戦いでこの場所が重要な舞台になったことを感じられました。

公園は木陰が多く、過ごしやすく感じました。
茶臼山を出たのは16時25分ごろです。

計画メモ|回る順番・所要時間・アクセス・御朱印

回った順番と時刻(所要時間の実例)

2026年8月14日(金)に回った時刻(朝は大阪城・昼ごはんは森之宮)

玉造稲荷神社=12時ごろから12時25分ごろ
大阪カテドラル聖マリア大聖堂・越中井(寄り道)=12時半ごろから12時40分ごろ
三光神社=13時ごろから13時20分ごろ
心眼寺・真田丸顕彰碑・興徳寺=13時25分ごろから13時50分ごろ
玉造駅 14時5分ごろ発の地下鉄(乗り換え1回)→ 四天王寺前夕陽ケ丘駅 14時20分ごろ着
四天王寺=14時25分ごろから15時ごろ
安居神社=15時5分ごろから15時25分ごろ
一心寺=15時半ごろから16時5分ごろ
茶臼山=16時10分ごろから16時25分ごろ

玉造稲荷神社に着いてから茶臼山を出るまで、4時間25分ほどです。
朝に大阪城を回ってからでも、1日で回れました。

時間が少ないときは(この日の時刻から)

玉造の3か所(玉造稲荷神社・三光神社・心眼寺と真田丸顕彰碑)は、この日は寄り道(大聖堂・越中井と興徳寺)を入れて1時間50分ほどでした。
寄り道をしなければ、もう少し短くなります。
天王寺の3か所(四天王寺・安居神社・茶臼山)は、四天王寺前夕陽ケ丘駅から歩いて回れます。

» Googleマップで、玉造駅から玉造稲荷神社・三光神社を通って心眼寺までの道順(徒歩)を開く

» Googleマップで、四天王寺前夕陽ケ丘駅から四天王寺・安居神社・一心寺を通って茶臼山までの道順(徒歩)を開く

アクセス(大阪駅から玉造へ・天王寺から大阪駅へ)

大阪駅から玉造駅へは、JR大阪環状線(京橋方面)で14分、運賃は200円です(JR西日本の時刻・運賃検索)。
玉造稲荷神社の公式サイトでは、JRの玉造駅か森ノ宮駅で降りて歩く行き方が案内されています。

  • 三光神社へは、JR玉造駅から歩いて5分、地下鉄の玉造駅2番出口から2分です(三光神社の公式サイト)
  • 玉造から天王寺へは、地下鉄で移動しました。
    玉造駅から四天王寺前夕陽ケ丘駅まで、乗り換えを入れて10分ほどです(この日は190円)。
    長堀鶴見緑地線で谷町六丁目駅まで行き、谷町線に乗り換える行き方です(Osaka Metroの駅の案内)
  • 帰りは、天王寺駅から大阪駅までJRで17分・240円です(JR西日本の時刻・運賃検索・関空快速などの場合)

かかったお金(私の実額・1人あたり)

項目金額
地下鉄(玉造駅→四天王寺前夕陽ケ丘駅)190円
JR(天王寺駅→大阪駅・時刻・運賃検索の運賃)240円
御朱印(玉造稲荷神社)300円
御朱印(三光神社)500円
切り絵の御朱印(三光神社・書き置き)1,200円
御朱印(興徳寺)500円
御朱印(安居神社)300円
集印(一心寺)500円
合計3,730円

電車は、大阪駅まで乗った場合の運賃で書いています。
朝の電車と昼ごはんは、大阪城の記事にまとめています。
四天王寺の御朱印は、値段を書き留めていなかったので、合計に入れていません。

御朱印(6か所で7枚)

この日にいただいた御朱印(値段はこの日のもの)

玉造稲荷神社=300円
三光神社=500円(切り絵の書き置きは1,200円)
興徳寺=500円
四天王寺=納経所でいただいた(値段は記録していません)
安居神社=300円
一心寺=500円(一心寺では「集印」と呼んでいます)

三光神社と安居神社、興徳寺の御朱印には、「真田山」や「真田幸村公戦死の地」など、真田にちなむ文字が入っていました。

先に知っておくと楽なこと

  • 三光神社の社務所は、平日は15時までです。
    土日祝は16時までです(公式サイト)
  • 真田の抜け穴は、ふだんは鉄格子ごしに見る形です。
    開くのは、10月最終日曜日の真田祭りの午前10時〜12時だけです(三光神社の公式サイト)
  • 一心寺の受付は、午前9時から午後4時までです(公式サイト)。
    いまは、法要を申し込んだ人のほかは本堂の中に入れません(同)。
    参詣者用の駐車場もありません(同)
  • 四天王寺の門は24時間開いていて、お堂の外からのお参りはいつでもできます(公式サイト)。
    中心伽藍の中を見るときは、大人500円です。
    毎月21日・22日と、3月と9月の彼岸会の日は、中心伽藍が無料で開放されています(同)
  • 安居神社と心眼寺の開門時間は、公式の案内が見つかりませんでした。
    この日は、安居神社に15時すぎ、心眼寺に13時半ごろに入れました

料金と時間(公式サイトで確認)

場所時間料金(大人)
三光神社社務所の受付=平日9時〜15時・土日祝9時〜16時/抜け穴の開放=10月最終日曜日の午前10時〜12時―
四天王寺門は24時間(お堂・中心伽藍・庭園は4月〜9月が8時30分〜16時30分、10月〜3月が8時30分〜16時。
毎月21日と行事の期間は時間が変わる)
中心伽藍500円
一心寺山門は午前5時〜午後6時・年中無休(受付は午前9時〜午後4時。
いまは法要を申し込んだ人のほかは本堂の中に入れない)
集印500円

料金や時間は変わることがあります。
行事の日は時間が変わることもあります。
出かける前に、各公式サイトで確かめてください。

出典:玉造稲荷神社 公式サイト「豊臣秀頼公」「交通経路」/三光神社 公式サイト「三光神社」「真田丸について」/大阪市天王寺区「大坂の陣最大の激戦地 真田幸村が築いた真田丸の地に「真田丸顕彰碑」を設置しました」「天王寺区のいろいろな「真田幸村」をご紹介!」/四天王寺 公式サイト「拝観ご案内」/一心寺 公式サイト「ご参詣案内」/Osaka Metro「谷町六丁目」「四天王寺前夕陽ケ丘」/JR西日本「マイ・ダイヤ(時刻・運賃検索)」(いずれも2026年10月17日確認)

出典:大阪市教育委員会の真田丸出城跡の掲示、心眼寺の墓碑の説明板、真田丸顕彰碑の解説、四天王寺の御朱印の案内、安居神社の「眞田幸村陣歿の旧跡」と銅像の由来の掲示・社務所の貼り紙、一心寺の本多忠朝の墓の説明板(いずれも2026年8月14日に現地で確認)

よくある質問

大阪の真田幸村ゆかりの地は、どこにありますか?

この日に回ったのは、玉造(玉造稲荷神社・三光神社・心眼寺と真田丸顕彰碑)と、天王寺(四天王寺・安居神社・一心寺・茶臼山)です。
玉造の3か所は歩いて回り、玉造から天王寺へは地下鉄で移動しました。

1日で回れますか?

私は朝に大阪城を回ってから、12時ごろに玉造稲荷神社に着き、茶臼山を16時25分ごろに出ました。
玉造から天王寺までは4時間25分ほどです。

大阪城から玉造稲荷神社へは、歩いて行けますか?

私は大阪城を見たあと、森之宮で昼ごはんを食べ、そこから歩いて10分ほどで玉造稲荷神社に着きました。
玉造稲荷神社の公式サイトでは、JRの玉造駅か森ノ宮駅で降りて歩く行き方が案内されています。

四天王寺は無料で入れますか?

四天王寺の公式サイトによると、門は24時間開いていて、お堂の外からのお参りはいつでもできます。
中心伽藍の中は大人500円で、毎月21日・22日と、3月と9月の彼岸会の日は無料で開放されています。
私は中心伽藍の中には入らず、外から五重塔を見ました。

真田の抜け穴の中には入れますか?

この日は鉄格子が閉まっていたので、外から見ました。
三光神社の公式サイトによると、ふだんは鍵がかかっていて、1年に1度、10月最終日曜日の真田祭りの午前10時〜12時に開かれます。

真田幸村のお墓は大阪にありますか?

心眼寺の境内に、「従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と刻まれた墓碑があります。
説明板によると、信繁の四百回忌にあたる2014年10月に建てられたものです。

「幸村」と「信繁」は同じ人ですか?

心眼寺の説明板によると、真田信繁は一般に「幸村」として知られていますが、生前に「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられています。
真田丸顕彰碑の解説では「幸村(信繁)」と書かれています。

真田幸村にちなむ御朱印は、どこでいただけますか?

この日にいただいた中では、三光神社(真田山)と安居神社(真田幸村公戦死の地)、興徳寺(真田山)の御朱印に、真田にちなむ文字が入っていました。
三光神社には、切り絵の御朱印(書き置き・1,200円)もありました。

まとめ:大阪城のあとは、玉造から天王寺へ真田幸村ゆかりの地を巡ろう

2026年8月14日に回った経験から、大阪で真田幸村ゆかりの地を巡るときに押さえたいことを3つにまとめます。

  • 玉造の3か所は、歩いて回れる(この日は玉造稲荷神社・三光神社・心眼寺と真田丸顕彰碑を、近くへの寄り道も入れて1時間50分ほどで回った)
  • 玉造から天王寺へは、地下鉄で移動する(玉造駅から四天王寺前夕陽ケ丘駅まで、乗り換えを入れて10分ほど。
    この日は190円)
  • 三光神社は、社務所の時間と抜け穴の開放日を先に確かめる(社務所は平日9時〜15時・土日祝9時〜16時。
    抜け穴が開くのは10月最終日曜日の午前10時〜12時だけ)

朝に回った大阪城天守閣と豊臣石垣館の記録は、下の「あわせて読みたい旅の記録」にあります。

あわせて読みたい旅の記録

» 同じ日の朝に、大阪城天守閣と豊臣石垣館を開館の9時から回った記録です

» 伊丹スカイパークと伊丹空港の展望デッキを、電車とバスで夕方から夜まで回った記録です

» 滋賀の近江八幡を、車なしで1日かけて回った記録です。
八幡山城を築いた豊臣秀次は、秀吉の甥にあたります

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